アラフォーです。
これは6年位前です。肌の張りが違います。
今のうちからスキンケアをオススメします。
肌が違うと人生変わる!
あれ?どっかで聞いた事あるフレーズですね。ま、いっか。
【木村直人連載vol.3】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫! | MTRL
さて、時はちょうど…
長野五輪の年だったでしょうか?スキージャンプ見ながら涙したのを覚えています。
原田選手の「ふなき〜ふなき〜」ですね。
これを読んでる人は知りもしないかもですね。
歴史というのは凄まじいです。
パチスロでいうと初代「HANABI」です。
「サンダーV」とかまだ「ニューパルサー」なども絶賛稼働。
いわゆる「リーチ目」というのが絶頂を極めている時代。
てゆーか脱線しすぎですよね。
思い出したらそんな事しか思い出にない僕はクズでした。
でもそんな僕もその当時絶頂を極めていた「美容師ブーム」の申し子の1人であるわけで、ただそういった世論とは全く関係なく、美容師を志したのは「遠距離恋愛だった為」というなんともくだらない理由なわけなんですけども、それでもやはり「憧れ」というものはあるのです。
「TOMOTOMO、しんびよう(当時はひらがなだった)」などを読み漁り、サロンを外から眺めては憧れを抱いていた。
とにかくカッコよくて、「こういうデザイン作れる様になりたい」とか「カッコよくなりたい」とか、今では考えられない様な感性でした。(今は自分に興味がなさすぎるので…)
写真にある美容室「アクア」は本当にすごくて、営業中に外から眺めている美容師さん目白押しで僕もその1人だった。
本当にカッコよかった。
そんな中…
僕は就活には積極的だった方の様に思います。
本当に沢山のサロンを見学した。
親父が「ここに入れよ!」っていうリストを送ってきて、そのサロンは全部見学した。
その中で、「1番早く面接していたサロン」(その当時ではありえないくらい早い時期での面接設定だった。現在のモデルとも言えるかもですね。今はどんどん時期が早まってますね。皆、いい人材が欲しいのです。)に履歴書を送った。
はっきり言って…
そのサロンは「社長単独面接」だったと記憶している。
後から聞いた話だがなんと「1000人」くらいの面接をこなしたそうだ。
ただ一つ覚えているのは…
周りは誰もスーツな人なんていなかった。
正直な所、「狙った感」は否めない。
「オシャレ云々」よりも「目立つ事」を考えていた様に思う。
みんなカジュアル私服の中、ただ1人スーツ姿。
それは目立つだろう。と…
だが、同じ事を考える人はいる様で来る人を見ているとごく僅かながらスーツで面接に臨んだ人はいた様だ。
「チッ」とは思ったものの、まぁ、当たり前なんだけど、同じ感性を持つ人はいるよねw
そっからは真っ白。
何を聞かれたかも答えたかも覚えていないけど、用意したカタコトの言葉しかなく、結局の所、そんな所は見てないんだろうなぁ。と今となっては思う所だし、今は面接したりする立場なんだけど、僕自身もそんな所は見ていない。
気合と熱意。
そういった所しか見てないなぁ。と…
ダメだと思ってたんだが、なんと一次面接を通過していた。
本当に驚きました。
二次面接は一次面接通過者だけで、社長を囲み話を聞いていただけ。
ほとんど、合格みたいなもんだったのだろう。
印象的だったのは…
この発言。
ドキッとした。
写真でもわかるかもだけど…
僕の手は本当に醜い。
手のひらパンパン。指は短く、人には…
「変わった手をしているね」
としか言われた事がない。
コンプレックスの一つでもある「手」
それを見せるという行為は本当にドキッとしたし…
「ああ…これでもうダメだ。」
と思ったものだ。
社長が述べたのはそういう言葉だった。
何を見ていたのかはわからない。今となれば「手荒れ」など、美容師やっていて避けては通れない問題の部分で荒れやすいかどうか?のジャッジだったのか、スピリチュアルな部分で何かを感じとったのかはわからないが、今思うと先輩も含め、その当時同じサロンで働いていて今もこの業界で生き残っている人達の活躍を見ていると、自分は置いておいて、その社長は本当に見る目が優れていたと思う。
その後のみんなの活躍ぶりは半端じゃないし、同期入社した奴の中でも現在、業界で知らない人はいないであろうくらいの有名な奴もいる。(belleの飯田、堀之内君とか…ウチの渋谷、金丸とか…)
その他、皆目覚ましい活躍を遂げるとはその当時想像もつかなかった。
そして…
二次面接が終わり、程なくしていきなり電話が来た。
強面のマネージャーの方からの一本の電話。
「もしもし。木村さんですか?……………。 ”採用決まりました!”」
稲妻落ちましたよね。
他の落ちた人には書面での通知だったらしい。
嘘かな?と思ったけど本当に採用されたのだ。
(1997 10/17 だったらしい。当時の写真)
後で知った話だが、合格者は「24人」だった様に記憶している。
「24/1000」すごい倍率だ。
まさか突破するとは…
学校の先生も皆驚いていた。
それくらいどうしようもない生徒だったんだろう。
心配しかされてなかった様に思う。
「まさかあそこに受かるとは…」
顔に書いてある様に思った。
記憶している限りでは「原宿」からキャリアをスタートさせたのは同級生で2人?しかいなかった様に思う。(ホント曖昧なんですが)
原宿のサロンを希望していた人は山ほどいたがなかなかハードルは厳しかった様だ。
今、現在もこうして続けられる様な人間だとは誰も思わなかったであろう当時。
今思うと続くもんなんですねぇ。
ま、それにおいては親とか沢山の方のサポートがあってこそなわけなんですが、それはまた後に語る事にしましょう。
そして僕は…
■アーカイブ■
【木村直人連載vol.1】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.2】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.3】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.4】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.5】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.6】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.7】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.8】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.9】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.10】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.11】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載 最終回】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
■ライタープロフィール■
木村直人
ヘアスタイルスキルにおいては語るに及ばず、常に先を走る日本のトップクリエイターの1人。「上質、洗練」をテーマにし、グラデーションカラーに代表される様に斬新な価値観で世の中にトレンドを発信し続けてきたオールラウンドプレイヤー。
情報発信者としても高いスキルを誇り、常に精度の高い情報を提供し続けている。
主宰するオンラインサロン「マルチバース」においては開始2日で400名の会員を動員。LINEスタンプディレクション、美容メディア構築など、美容師の仕事だけにとどまらない活動を通じて社会に対しての貢献を成している。
芸能人顧客多数、雑誌などでも目にしない事はない程にサロンでもサロン外でも精力的な活動を行っている。
【著書 ハラドキヘアスタイルブック(三栄書房)】はAmazonビューティーランキング第1位を獲得。