日々、朝早く起きてベランダにて黄昏れ、缶コーヒーを飲み本を読んだり書き物をしたりするのを楽しみにしている最早枯れ気味の男です。
あっ。申し遅れました。
私は全国で12店舗展開しているヘアサロン…
有名タレント・モデルが通うトップヘアサロン air 【エアー】
で、僭越(せんえつ)ながらmanagerなる肩書きで仕事をしている「木村直人」と申します。もしやこれを読んでいる方々は知りもしないかもですね。
それでもいいと思います。
17年この世界で存在していられました。
「これから美容師を目指す!」
という方々の為のメッセージをつらつらつらつらと…
独り言の様に書いていく連載です。
美容師に限らず、ファッション、ネイル、エステ、諸々美容系、アーティスト職には共通する部分はあるかもですね。
肌でヒシヒシと感じるジェネレーションギャップ。
そこら辺、「空気読めない系オジサン代表」としてなんか書いていけたらな。と…
この業界語りにおいて外せないのはまずこの文言となるでしょう。
いきなりこれを述べてどうなのか?とも思いますが嘘ついてもしょうがないですしね。
毎年数千人がこの業界の門を叩き、そして去ってゆく業界。
見かけとは裏腹のギャップ感に淘汰されない心を作る。
まず一番大事なのはそういった自分マインドの支配が必要な業種。
この連載を読む事で少しでも緩和できる部分があればそれはそれで嬉しい。
その逆もあるかもしれない。
そういった所で心して読むがいいっ!
ただひたすらに何も考えてませんでした。
岡山県に生まれ育ち、今では考えられない程に情報も少なく、毎日遊んでばかりいた。
進路を決めるって時にもどうすんだ?と…
今となれば考えられないけど、その当時なりたい職業は…
「医者、弁護士、警察官」
でした。
てゆーか高校の過ごし方からしてなれるはずもないんだけど、そういった職業観があってなんとなくボーッと過ごしながら考えていた。
比較的、僕の両親は進路について口出しする事もなく、小言もなく一見無関心なんだけど今思えば僕の性格を見抜いていて黙っていたのかもしれない。
多分言っても反発するしね。
家にもぜんぜん帰らない。
とにかく遊んでばかりいた。でもそれが楽しかった。
いよいよ進路を決めるってなった時…
突然そんな事を。
僕の実家は美容室。両親共に美容師。
僕は「美容師という職業が大嫌い」だった。
子供の頃から仕事で親には相手にしてもらえない。
授業参観はこない。運動会も。
作ってくれたおにぎりからは独特の「パーマ液」の味がした。(パーマ液は洗ってもなかなか落ちない)
当然なんですが、そういった行事は日曜日に行われる事が多いと思うのですが、美容室というものは日曜日が一番忙しい。
当たり前ですよね。
行けるわけもなく、両親は淡々と働いていた。
子供の時はそんな両親が大嫌いだったし、「美容師」という職業そのものが嫌いだった。
そういったものを奪う「美容師」
親は後を継いでもらいたいという思考があった様だが絶対になりたくない職業NO.1だった。
めちゃめちゃ単純。
今では大好きな岡山県もその当時は暑苦しく感じていた。
関わってくれる人達も鬱陶(うっとう)しいと感じていたし、そっとしておいて欲しかった。
1番の理由としては本当に単純。
「その当時の彼女が埼玉県に住んでいた」
言ってて恥ずかしくなるくらいな話なんだけど、その当時、遠距離恋愛だったんですよねぇ。
どうにかこうにか東京に出る手段を考えていた。
「美容師なら行かせてくれるんじゃね?!」
まぁ、ホント最低な子供ですよ。
両親が美容師だから「美容師になる」と言えばなんでもさせてくれるんじゃないか?と…
「どうせ美容師やるなら東京で!そして1番の所で!そして修行して帰ってくる。」
と…
その当時は「東京で美容師をする」という事が1番のステータスになり得ると思っていた。
こういう理由なら親も納得するだろう。と…
今の僕はそういう思考はありません。
最早、場所など関係ない。そういった時代。
でもその当時はそんな感じだった。東京で美容師をやっているっていうのはステータスになり得る事柄だったのだ。
意気揚々と東京に。
「第二国際文化理容美容専門学校(現 国際文化理容美容専門学校 国分寺校)」
に入学。
美容学校は国際文化理容美容専門学校
今では定員割れ続出の美容専門学校もその当時は大人気だった。
ちなみに僕は「面接に落ちたw」
理由はわからないけど高校時代はホントに褒められた学生生活ではない。そういう所を見られたのだろう。
僕の母校は二校あって渋谷と国分寺にあった。
最初は「渋谷」を受けて落ちた。んでも…
「第二なら…(現国分寺校)」
という書面が来てそのまま入学した。
その当時は「渋谷」がイケイケだと思っていたのでなんかイケてない方に入れられるのかぁ…
みたいな思考が働いたのだけど、今では考えもつかないくらいに現国分寺校は活躍なさっている様だ。
我が母校万歳!
そんなSTORYも。
「彼女」と過ごしたいというだけで来た「東京」
今回のオチはここにある。
若い時はそんなもんだ。
やっと念願叶ってみたもののすぐに別れた。
彼女は浮気しまくってたわけなんですよね。
んでも好きだったので継続していた関係も実際過ごしてみると虚無感満載。
その当時のピュアハートはズタボロ。
yoッ!!かわいそうだねっ!yeah!!!
と歌い出したくなるくらいに落ち込んだ。
んでも岡山県から単身出てきて新しい出会いも沢山して、彼女の浮気とかどうでもよかったかもしれない。
それくらいワクワクさせてくれる街が東京だった。
全てが眩しかった。
最初に出て来た理由も霞む程に楽しい街。
それが東京だったのだ。
岡山での僕。
東京の僕。
そんな変化を感じていて毎日楽しかった。
そうして僕は「美容師になる為の第一歩」を踏む事になったのだ。
vol.2に続く。
■アーカイブ■
【木村直人連載vol.1】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
【木村直人連載vol.2】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
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【木村直人連載vol.10】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
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【木村直人連載 最終回】yoッ!俺だってこんなんだったんだからお前ら絶対大丈夫!
■ライタープロフィール■
木村直人
ヘアスタイルスキルにおいては語るに及ばず、常に先を走る日本のトップクリエイターの1人。「上質、洗練」をテーマにし、グラデーションカラーに代表される様に斬新な価値観で世の中にトレンドを発信し続けてきたオールラウンドプレイヤー。
情報発信者としても高いスキルを誇り、常に精度の高い情報を提供し続けている。
主宰するオンラインサロン「マルチバース」においては開始2日で400名の会員を動員。LINEスタンプディレクション、美容メディア構築など、美容師の仕事だけにとどまらない活動を通じて社会に対しての貢献を成している。
芸能人顧客多数、雑誌などでも目にしない事はない程にサロンでもサロン外でも精力的な活動を行っている。
【著書 ハラドキヘアスタイルブック(三栄書房)】はAmazonビューティーランキング第1位を獲得。