絶対にバレる事は無いと思っていた。
もうあの時の僕とは別人なのだから。
21歳の夏、薄暗い部屋の窓を少しだけ開けると、室外機の低音と、生温い小雨と、水溜りを切るワゴン車の音がすぐ近くで聞こえる。おそらく夜を売る女の子達の送迎車だろう。
今僕の横には黒目が大きく、涙袋が分厚い、鼻筋が通っている華奢で完璧な女の子が横たわっている。
でも僕にはわかる。この子の顔はきっと韓国製だ。ざっと200万くらいだろうか。そのお金の出所は大体想像つくけど、彼女もまた苦労してる。きっと最近まで、いやもしかしたら今も、先程の窓の外のワゴン車に乗る側の人間だろう。
「ねえ、一つ聞いてもいい?」
その女の子はベッドに腰掛けパンツを履きながら切り出した。その目は好奇心で潤んでいた。
今は話しかけて欲しくない気持ちを顔に出さないように、出来る限り甘い声で問いかけに答えると、彼女は続けた。(1)
「私、たぶん君のこと昔から知ってるよ。ねえ、宏太くんでしょ?」
その名前に全身の血の気が引くのがわかった。彼女の目を直視する事が出来ず、視線は宙に浮く。
「え、なに?誰それ?」
精一杯の冷静を装っても、僕を見つめる彼女の目はどうやら全てを見透かしているようで、口角は微かに上がっている。
なぜその名前を出すのか、なぜわかったのか、次から次へと沢山の仮説が浮かんでは消え、その場に居ても立っても居られなくなり、動悸を抑えながら洗面所へ向かう。
手を洗う振りをして水を流し、至近距離で鏡に映る自分の顔をチェックする。
少しずつ血の気が戻る。
鏡の中の僕は完璧なイケメン、ヒカルの顔そのもので、そこに宏太のかけらは1ミリたりともなかった。
僕は3年前、高校卒業まで確かに「宏太」だった。
宏太は太っていた。一重で団子鼻でニキビ面の童貞だった。
都内の進学校に通い、普通の成績を3年間キープし、このまま普通の四大に進学することを、周囲も、宏太自身も疑う余地がなかった。
学校でもほとんど女子と喋れないそんな僕が当時ハマっていたのがアイドルだ。
アイドルと言っても深夜テレビにも出られないような、ファンが20人前後の弱小地下アイドルだ。
僕は予備校帰りに、ほぼ毎日どこかのライブハウスに行き、地下アイドルを応援していた。
20人程度のファンの中で僕は断トツ年齢が若く、すぐにアイドルから顔と名前を覚えてもらった。認知される程よい距離感がたまらなく心地良かった。
しかし、そんな花畑生活は僕の意思とは無関係に急に幕を閉じることになった。
一番応援していたアイドルが突然のグループ脱退、アイドル引退を宣言したのだ。
理由は伏せられていたが、ファンの情報網をナメてはいけない。どうも男性とホテルに入るところをファンに見られ、事務所に通報されたそうだ。
当時僕は激しく慟哭した。
そんな事をしない子だと心から信じていたのに。僕と笑顔で握手した手は誰かのものを握った手なのかと思うと吐き気まで感じた。
これまでの生温く心地良い世界から急に地獄に突き落とされた。激しい怒りはそのアイドルに、その相手の男に、通報したファンにまで向けたくなったが、一番は、騙され続け手の平で転がされ、生温い繋がりで満足していたブサイクで童貞の自分自身にだ。(2)
そこから僕は何かのスイッチが入ってしまった。
親に相談することもなく勝手に予備校に通わなくなり、アルバイトに明け暮れた。
最初は建築現場から始めて、夜は居酒屋でバイトした。深夜帯も働けるように年齢も嘘をついた。
もちろん急速に成績は落ちて行ったが、もう大学に通うことなどどうでもよくなってしまった僕にとってそんな事問題ではなかった。
同級生が受験勉強をする中、学校でもほとんど居眠りするようになり、元々大して友達もいなかった僕は、次第に学校から足も遠のいた。
そして僕は韓国へ飛んだ。念願の整形だ。
これまでのアルバイトは全て顔面改造にお金を注ぎ込むためだった。
鼻筋が通り、シャープな顎で、涼しい目元に変身した僕は、やっと本当の自分の姿に会えた気がした。
これまでの宏太とは別れを告げる事にして、今度は「ヒカル」として生まれ変わった。(3)
高校卒業と共に宏太も卒業した18歳のヒカルが行き着く場所はホストクラブしかなかった。
ホストをして女の子から搾取する側に立ってみると、今まで宏太が女の子と喋れず、地下アイドルから搾取されていたのは、ただ見た目だけが原因だったのだと実感する。
宏太自身が気持ち悪かったのではなく、顔のパーツの配置が少しズレていただけだったのだ。それはお金でいくらでも修正が効くものだった。
完璧な顔面を手に入れた僕は、もう一度地下アイドルのライブに行くことにした。
するとどうだろう。アイドル達の態度が明らかにおかしい。チラチラとステージ上から視線も投げられる。握手会では恥ずかしがっているようにも見えたし、こっそり連絡先を渡された。
簡単に繋がることも、その後ホテルに行くことも容易だった。結局全ては顔だったのだ。
宏太が花畑だと思っていたあの天国はブサイクに与えられたまやかしでしかなかった。顔が良いだけで、簡単に現実世界でアイドルとヤレる。
そして地下アイドル達はホストクラブにもよく来る。
ホストに貢ぐ金欲しさに水商売をしていたり、援交まがいのことは余裕でしている。これは当時の宏太に教えてあげたい。
そんな生活の中でようやく出会えたのが、僕の宏太時代を知るという今ベッドに再び寝転がっているこの女の子だ。
彼女は僕の客だ。そして、彼女は僕がヒカルになるきっかけをくれた張本人だ。
僕はこの日の為にこれまでの3年間を過ごしてきたと行っても過言ではない。
ようやく彼女を現実世界で抱けた。しかも彼女が僕に金を払ってだ。
搾取する側なのか、される側なのか。
結局世の中全て顔なのだ。
彼女が僕を宏太だったと気が付いてもいいじゃないか。どちらにせよもう宏太はここにはいない。(4)
僕はヒカルとしてこれからも女の子から搾取し続ける。
(1)事後でもその場を取り繕う配慮。いくら一夜限りの関係でもそこはマナーとして守ったほうが男を下げない。
(2)大体の場合このような時は他責をしてしまい、好きだった相手に対しても責め立てることが多いが、あくまでその矛先を自分に向けるストイックな性格。女性に優しく自分に厳しい。失恋の度に進化をし、かっこよくなっていくタイプ。
(3)自分の信じた道を疑わずまっすぐ最後まで進む潔さ。少しズレた考えでもきちんと有言実行する男らしさはつい応援したくなり、母性本能もくすぐる。
(4)触れられたくないことに女の子が触れてしまっても受け流す寛容さ。自分の不幸を売りにしないさっぱりとした性格で、一緒にいて楽しいし、元気になる。
名前:ヒカル(宏太)
経歴:東京都出身。メーカー勤務の父と医療事務の母の下に生まれ何不自由ない家庭環境に育つ。元々内気な性格で友達は少なかったが、イジメられる程の経験はしていない。
都立の進学校に通っていたが、高3の夏から急に学校に通わなくなり現在に至る。(本文参照) 現在は新宿のホストクラブに勤務し、ナンバー入りも果たす人気ホスト。
趣味・特技:カラオケ、ジム、筋トレ。
特徴:自らの経験から顔面偏差値こそがこの世の全てと信じているネオホスト。美容に関してはストイックでダイエットも顔面の定期メンテナンスも欠かさない。仕事として酒を飲んでいるが普段はあまり酒を飲む事もない。同世代のホストとも仕事以外ではあまりつるまない。
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