ボランティアにはケチをつけ、誰かが募金をすれば「偽善者」呼ばわり。
子供の名前のタトゥーを彫れば「子供が可哀想」「非常識だ」と騒ぐ。
この夏、デキ婚を発表して以来、こうした他人の努力を認められない人や他人の幸せが許せない人が、確かに存在していることを身をもって感じている。
旅行に行けば、「赤ちゃんが可哀想」
エコー写真を載せれば、「自慢ですか?」
化粧品を買えば、「無駄遣い」
私はお前の金で生活しているわけでもなければ、生活保護を受けているわけでもないのに、なぜお金の使い方や生活について非難されなくてはならないのか。いつの時代も暇人と貧しい人間は他人の生活や余裕にうるさい。
インスタのストーリーで質問募集をしたら、「妊婦なのに頻繁に出かけて、赤ちゃんが可哀想!」とか「ベビー用品以外の買い物は無駄遣いでは?」などと言われたのですが、ハッキリ言ってうるせえし、この件に限らず、暇人と貧乏人は他人の余裕や幸せに口出しする以外にやること無いのでしょうか?
— 妹尾ユウカ (@yuka_seno) August 21, 2018
先日、個人ブログにも書きましたが、「エコー写真をコラムに載せて自慢してるんですか?」と言われた時には本当に驚いた。「人の気持ちを考えてください」なんて言われた日には、思わず「特大ブーメランでは…」と声がこぼれた。
私はマザーテレサでもなければ、ご存知の通りピースフルな人間でもないが、文字通り「みんなが幸せ」でいられたら、それに越したことはないと思う。
けれど、それを実現するために、幸せな人がなにかと自重・自粛する側の役に回らなければならないのは本末転倒ではないだろうか。
この世に存在できる幸せの数に上限なんて無いのに、なぜ他人から幸せを奪おうとする人間がいるのか。他人の幸せにケチをつけたり、奪おうとすることに力を注いでいる間に、「あなたの幸せ」は作り出すことが出来るはずのに…。
自分の幸せの不足分を他人から奪い、補おうだなんて。
この国では、目立つ人、自由に振る舞う人、自己肯定感が強い人がどこからともなく空き缶を投げつけられる。投げつける方はそれっぽい理由をつけて投げつけてくるが、結局のところ「嫉妬心」以外の何ものでもない。
何をしても、どんな風に生きても、どうせ後ろ指をさされる。そうならない方法があるとするならば、同調圧力に従って大人しく振る舞うか、自分を殺すことだと思う。
痛みを感じたり、悲しい気持ちになったり、自分が間違っているように思える時があるかもしれない。けれど、間違っているのはどう考えても他人の幸せを奪う方だから、私たちが屈したり黙り込む必要などないのだ。
自分の好きなように生きて、他人から嫌われる人生と、自分を抑えつけて他人から嫌われない人生。
あなたはどちらを選びますか?
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