世の中には、「オタク」がたくさんいます。
アニメオタク、鉄道オタク、映画オタク、ゲームオタク、ミリタリーオタク、家電オタク等々、数え上げれば切りがありません。
しかしながら、これら「オタク」達の象徴とも言えるイメージ、つまり、だぼだぼのジーンズとチェックシャツという定型的なその出で立ちは、同じアイテムをまとっているはずの「アメカジ系」とは様相を異にしています。
どうも「オタク」には、「キモい」であるとかいった否定的な印象がついてまわるようです。
その見た目の違いを少し比べてみましょう。例えば、白い無地のTシャツとジーンズ。これを「オタク」と「イケメン」に着せるとどうなるのか。実験開始です!
当然、印象が異なりますね。イケてるかイケてないかは別の問題として、顔の表層的な違いはあるにせよ、やはりその着こなしなのではないでしょうか。
そのだぼだぼのジーンズはマイナスイメージのオタクを更に否定的なものとし、サイズの合っていないTシャツは無地で冴えないどころか、風に揺らめけば、世にもおぞましい様相を呈してしまいます。
さて、イケメンの方はどうでしょうか。ジャストサイズのTシャツ。その無地の白は爽やかさに溢れ、細身のジーンズ、ハット、そして、アクセントとして腰に羽織りもののシャツを巻き付ける。
これぞ「モテる」ファッションと言えるでしょう。
けれども、そんな比較をしたところで、見えてくるものと言えば、「渋谷vsアキバ」という対立構造ただそれだけです。イケメン達は、「俺達、イケメン!」と言わんばかりに街を闊歩するし、オタク達は、「モテない」事への恨み辛みの裏返しとしてその見た目を更に悪化させてゆく。互いの溝は深まるばかり。解決策など見あたらないように思います。
いやいや。「そんな時に一筋の光りが!」とはいきませんが、「イケメン」を「オタク」に組み込んでしまってはどうかと、筆者は考えています。
「サブカル文化」の第一人者である宇野常寛氏はこんなことを言っています。
“九十年代後半以降、特定の「都市」が若者文化を代表することはなくなり、その代わりにそれぞれのトライブごとに、街々が「棲み分ける」ことをはじめたのだと言えます。”
73年の「渋谷PARCO」開店以来、文化の中心となった「広告都市」としての渋谷は、バブル経済とともに崩壊を迎えました。そこで池袋、下北沢、秋葉原などの街が新たに勃興していくわけですが、中でも秋葉原は、第三次アニメブームとともに「アキバ系」を抱えながら独自の発展を遂げ、オタクの「聖地」となるのです。けれども、その「聖地」秋葉原ですら「都市」としての機能を失っているようなのです。宇野氏によれば、オタク達の「日常」はインターネット上に移動しており、現実空間としての秋葉原はアイドルのイベントなどを催す「祝祭」の場でしかないと言うのです。つまり、そこには活発な交流を促す「都市」としての環境が存在しないのです。
この無コミュニティに危機感を覚えつつも、筆者としては、ここに「渋谷」の可能性を感じずにはいられません。
「都市」としての秋葉原は「死」をむかえた。けれども、渋谷は生きている。というより息を吹返しつつある。なぜならば、そこには、他ならぬ「イケメン」達がいるからです。彼らの軽やかな足取りが渋谷をどんどん活気づけていく。かつて、オタク達が「アキバ系」として秋葉原を文化的に底上げしその担い手だったとしたら、「渋谷系」としてファッションをリードし続けている「イケメン」達にも同じ事が言えるのではないでしょうか。現実空間としての「都市」の文化を担うという意味では、彼らも「オタク」と括ってしまってもよいはずです。もう「オタク」をキモいとは言わせない。そんな平和な平和な時代がくることを願うばかりです。
■ライタープロフィール
加賀谷 健
日本大学芸術学部映画学科監督コース在学中。
映画監督志望ながら批評その他雑文も執筆。「ことばの映画館」ライター。公開前の新作映画のレヴューを定期的に掲載。
Twitter:1895cu