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【ファッション文化を考察】渋谷系ファッション文化 〜繁栄と衰退・そして未来~

【ファッション文化を考察】渋谷系ファッション文化 〜繁栄と衰退・そして未来~

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参照元:渋谷・東京view

 モードの街、渋谷。言わずと知れた「109」を中心に、様々なファッションブランド店、雑居ビル、デパート、劇場、映画館が立ち並び、ふと路地に入っても、おしゃれなカフェを見つけることが出来る。さらに、2011年にメイン・ストリートが「バスケットボール・ストリート」と改名された「渋谷センター街」が街中を貫く。

若者たちは、坂から坂へ渡りつぎ、通りという通りを縦横無尽に闊歩していく。彼らは、ゴテゴテのブランド服を身にまとうのではなく、ファスト・ファッションを自己流に着こなす。ヘアー・スタイルは、程よい色にカラーリングされ、程よい形にセットされた遊び心あふれるものである。彼らのほとんどはモデルか何かだろうか。ゆったりとした上体としなやかな足取り、余裕然とした表情、その軽やかな姿は、まさに「イケメン」と呼ぶに相応しい。
 では、そんな彼らがはたして「渋谷系」なのだろうか。ここで少し「ギャル男史」を中心に、渋谷の街を闊歩する男性たちの変遷をざっと概観してみたい。

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参照元:Black Diamond

 1973年、「渋谷PARCO」が開店し、渋谷は一躍若者文化の流行の最先端を担う事となった。そこに出現した「ギャル」の存在は、現代日本の文化をある意味そのまま席巻してしまったのだが、「コギャル」「ヤマンバ」「マンバ」の順に発展する「ギャル」とともに、2003年頃の男性版「マンバ」、「センターGUY」の出現もまた画期的と言える。彼らは「ギャル」に類似し、その「分身」としてもはや女性による「女装」とも言える「ヤマンバ」の怪物的な部分を継承し、文字通り、渋谷の「センター街」に出没した。しかしこの年、無難な「女ウケ」を狙ったややフォーマル寄り(千葉雅也)の「お兄系」の登場もあり、少数派であった「センターGUY」の存立は一時的なものとなった。イタリアのハイブランドで身を固めた「お兄系」の登場は風呂にかなりの日数入らないという「ギャル男」の従来のイメージをやや清潔感あるものにしたが、それは同時に、極度の装飾性と「ガングロ」を特徴とした「ギャル男」形態の崩壊を意味し、「ギャル男」自体が一般的な存在へと変化していく事となったのである。

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参照元:Amaon

 「ギャル男」のバイブル的ファッション雑誌『Men’s egg』誌では、当初「アダルト」と括られていた「お兄系」や「サーフ系」が紹介されたが、現在でも圧倒的な読者を持つ『MEN’S NON-NO』誌では「きれいめ系」が提唱されており、「ギャル男」全盛当時には主流とはならなかったものの、現在のファッション・スタイルに通底するものがある。「きれいめ系」に比べると、「センターGUY」はかなり強烈な個性を放っていたのだろうし、「清潔感」が標語と言える現在のスタイルはある意味、かなり「やわ」なもので「非個性的」なのかもしれないが、「アメカジ」「ビジュアル」「モテカジ」「ストリート」等々、様々なスタイルが混在する最新版「キレイめ系」ファッションの軽やかさが人々にもたらす心地よさは計り知れない。

 ここ10年や20年の出来事とは言え、日進月歩のグローバルな社会においては、たった数年ですら「歴史」として刻まれてしまう。とすると、渋谷の発展がこれはもう「文化」とイコールの関係になっている事はもはや明らかである。おそらく、どの時代の「渋谷系」も「無意識」のうちに文化の主体となり、その発展に貢献してきたのだろう。彼らの歩調はいつも軽やかな「自由さ」にあふれている。だが、自分たちが文化の担い手だという事に「意識的」になれば、渋谷はより強固な文化的風土になるはずであり、そうする事で改めて「渋谷系」が「渋谷系」としての存在意義を獲得するのである。

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